坊主めくり、答え合わせと新しい人
長い休みというのは、どこか人に焦燥感を与えるもので
なにかせねばと思う反面
壮大なことを妄想したくも、なる
『 せっかちおばさんと夢見る少年の同居 』
鉄の校舎で見せる顔
名のある集合で見せる顔
あなたの瞳に写す顔
どれもこれも違いすぎて
面(つら)と面(つら)がくるくるくるくる
踊り狂って
吐き出す言葉はつらつらと
淀みなかったり、滞ったり
まあ皆さんあると思うのだけど、
私の場合、人格変わる憑依レベル
程度の話しね
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夢見る少年のわたしは
せっかちおばさんの手を振り切って
それは優雅に本を読む
旅のバイブル『深夜特急 』
これを片手に飛び出した
あの日の小さな冒険譚、
目尻の皺ごと、思い出して
香港の祭りのような毎日に
ふらふらと居着くは沢木耕太郎(作者)
これはまあエッセイなんだけど、
彼の香港での一節より、
「ある晩、佐敦道の路上でひとりの老人に出喰わした。
彼は不思議な物乞いだった。うずくまり、コンクリートの舗道の上で、一心に美しい文字を書いていた。」
中略
「彼の詩を読んでいると、そこに通りかかった三人連れのうちのひとりが、横眼で見やりながら大声で言った。
「この乞食の人はね、昔、ロンドン大学に行ったこと、あるらしいね」
彼らは別に足を停めようともせず、大きな声を立てながら、近くの大酒楼の階段を登っていった。」
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物乞いに不思議とかあるのか
物乞いという、惨めだとか貧困だとか
ネガティブなイメージがつきまとうこいつに
作者はファンタジックな世界を見た
よくよく考えてみると、
童話に乞食が出でくることある、ある
不思議な物乞い
物書くパフォーマー
表裏一体、両者を隔てるものはなに?
人は何を以って
人を物乞いと認識する?
そしてこの物乞いは
権威ある大学での肩書きから
失墜した?今は惨めな暮らし?
ほんとう?ほんとう?
足をとめずに過ぎ去る三人
彼らの目線の味は憐れみ?
それとも無関心?
”一瞥して”という表現が似合うような
物乞いを不思議と捉える作者の眼球
それ越しに世界を見てる私達だから
この本の読者である時だけは、
過ぎ去る三人、なんだか悪者
これは、作者の 一種、操り?
ふふ
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直後の文章が彼の言いたい事を物語る
「カリブ海を愛したヘミングウェイに、キー・ウエストを舞台にした『持つと持たぬと 』という活劇風の小説がある。」
「私がかつて大学で経済学をかじりかけていた時、常に核心に据えられていたのは《Haves and Have-notsという問題だった。 》」
「持てる者と持たざる者と。この香港においても、持てる者と持たざる者との対照は露骨なほどはっきりしていた。」
「しかし、持てる者が常に豊かで、持たざる者が常に貧しいかといえば、それはそう簡単なことではない。」
これはよく言う、『愛か金か 』議論の上位互換の例だ
この世にまだ見つかってない真理などほとんど無いのかもしれないけど、
耳タコな真理をどう言い換えるかが物書きの真骨頂であり、だからこそ表現は自由。
そして時として、名言ってやつは生まれる。
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「ー貧困は僕にとって必ずしも忌むべきものではなかった。なぜなら、太陽と海とは決して金では買えなかったから。」
「ヘミングウェイの読者だったにちがいないアルベール・カミュも、確かそのようなことを言っていたと思う。」
(深夜特急1 より抜粋)
偉人だから残る、偉言葉だから残る?
確かって言い回しに、センス、感じます
はい、ここでこれまでのおさらーい!
◎(貧困への)憐れみの視線
本人はちーっとも気にしてないかも
これは去年10月の余白に(いました)
うーんハッピー!坊主めくり合いました
結局5ページしか読めてないのはご愛嬌
いつかまた、ね